影書房通信 25
靉光《梢のある自画像》1944年 東京藝術大学美術館蔵
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私は暗黒を知つてゐるから
その向ふに明るみの
あることも信じてゐる
君よ、拳を打ちつけて
火を求めるやうな努力にさへも
大きな意義をかんじてくれ
幾千の声は
くらがりの中で叫んでゐる
空気はふるへ
窓の在りかを知る、
そこから糸口のやうに
光りの勝利をひきだすことができる
――小熊秀雄「馬車の出発の歌」抄
《内 容》
◆自著を語る:伊藤伸太朗『詩集 野薔薇忌』
◆自著を語る:富盛菊枝『子どもの時のなかへ』
◆不快に明るい夜を生きる(『前夜』創刊に寄せて) 鵜飼哲
◆影からの声
◆自著を語る
伊藤 伸太朗 新刊『詩集 野薔薇忌』
〈想像力〉と〈魂〉と〈死〉と
一九九七年六月十二日、私は水泳中に脳出血で意識不明になり、死に近付きました。運良く三カ月後に退院しましたが、死のおびえから離れることが出来ませんでした。
九八年末、九九年と死の想念に苦しみました。右半身が痺れて文字が書けず、左手で書き始めた頃です。園児が使う〈あいうえお帳〉で練習しました。楷書で・正確に・早く書く……、これが目標になりました。字を書くというありふれた行為が実に新鮮に感じられ、自己の思いを記すことが病前よりも意味深く思えました。或る懐かしさを感じつつ、当時の日記を幾つか書き写してみます。
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◎死のゆらめき、背後の死、ゆらめく死……。常に〈死〉が意識に残った。何もやる気がなくなり、ただ生きているだけという無気力な状態になった。
◎〈魂〉とは一体何だろうか。何日も何日も考えた。私は結論を出した。〈魂なき私〉だった。魂とは無縁の生き方をして来たのだ。感情は浅く、泣きも笑いもしない。皮肉めいた言葉でごまかし続ける……。それが私だった。
◎〈魂〉については幾つもの表現がある。魂の荒廃、魂の再生、魂の焦土、魂の救済、魂の危機……。魂とは何か。人間の善に対する〈希求〉、〈形なき願望〉だろうか。
◎『死にたい』と思う。何故生きているのか。死ぬのが恐いからか。いろいろな関係があるからか。〈意識は既に死んでいる〉のかも知れぬ。
◎〈死〉を受け容れて生きるということはかなり難しいことではないだろうか。元気よく生き、しかも〈死〉を認識しているということは厳しいことだ。だがそうならなければならない。自分を大切にし、他者を大切にする。〈死〉をよく理解すれば、自他を大切にする筈だ。
◎〈魂〉とは何か。私にはまだわからない。人智学の訳者も〈魂〉としている。心なのか。生命なのか。これら全体なのか。〈生〉なのか〈存在〉なのか。〈魂〉の不死。根源的存在。死後、肉体から抜け出るもの=霊魂。肉体の死と死後の生命。〈想像力〉と〈魂〉と〈死〉と。
◎〈死〉が待ちかまえている! 〈無〉になるのだ。特に脳出血のような状態で死ぬと、不意に〈無〉になるのだ。いっそ簡単な死ではないか。
◎《死の中へ生まれていこうとしている》(ベケット?)
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このようなことを記しながら、九九年の夏ごろから詩のようなものを書き始めていました。最初の頃の〈作品〉は殆ど自然観察のようでした。引用してみます。
ひらりひらりと紋白蝶が舞う
そこへ白と焦茶の野良猫が来る
猫は姿勢を低くし じっと見つめる
紋白蝶が近付くと 異変が起きた!
猫がごろりとねころんだ
そして紋白蝶を相手に 手足を揺らす
蝶と猫が 仲良く遊ぶ
暫くすると 満足した猫が身を起こし
蝶もゆっくり舞い去った
名も知らぬ野草や野良猫、野良犬、野鳥の存在に心惹かれました。子どもの頃、堤防の日溜まりでオオイヌノフグリの白と紫の小花を眺めたり、川へ釣りに行って野バラの花の芳香に酔った記憶が蘇りもしました。すると〈死〉など意識しない少年時代が懐かしく、自然との様々な関わりを思い出しつつ表現していると深い喜びや無念さが生き生きと浮かび上がりました。この頃になってようやく〈詩を創る〉意識が芽生え始めたと思います。今は亡き師である作家・井上光晴さんに初めての詩集を捧げます。
◆自著を語る
富盛菊枝 新刊『子どもの時のなかへ』
困難な時代にこそ
子どものころのことをよく覚えているね、といわれる。なぜそんなに? とも問われるが、わたしにもわからない。大人になるのが遅かったのだろうか。いつまでも子ども時代を引きずっているのはまちがいない。
ときどき見る夢があった。なんだかとても狭い所にはいりこんで、身動きができなくなる。後ろに下がりたいのに、首も回らない。前方は、わたしの体の大きさに比べて絶望的に細い通り道で、だんだん苦しくなる。もがいて、もがいて、はっと目がさめる。この夢を何度も見るうちに、またこんなところに入ってしまったと夢の中でも思うようになった。そして、気づいたのである。おそらく、そこは、わたしが母の胎内から外へ出るために抜けなければならなかった産道なのだろう、と。
もし、人生の記憶を一本のフィルムに収めるとすれば、わたしの場合は最初に悪戦苦闘の場面がくることになる。今回出版した本には「最初の記憶とはじめての本」の章があるのだが、この夢にはふれていない。推量の部分があるからだ。
わたしの一番の関心は、幼年期にある。このころの記憶が切れ切れだったり、あやふやだったりするのはしかたがない。ほんとうに自分が覚えているのか、それともだれかに聞かされたのか、区別がつかないこともある。ただ、些細な事実の根っこには言葉にならない幼児(おさなご)の意識、いや無意識といってよい地層が堆積しているような気がする。そこには幼年期に味わった感情さえもが、深くしみとおっているかもしれない。自分にとって不分明な幼年期を含めた子どもの「時」は、謎に満ちた世界だ。わたしは、わずかな記憶をたよりに、その世界に出入りできたらと、願い続けてきた。
版画家の三好まあやさんと話していると、目の前に、もうひとりの小さいまあやが現れたような錯覚が起こる。わたしにとって、子ども時代を生き生きと語ってくれる友人は貴重だ。今回は、表紙と本文中のたくさんの装画で、この本の世界を広げてくれた。彼女と作業を進めながら、わたしは本の題名が心に浮かんだのだった。
『子どもの時のなかへ』というタイトルは読者にどう受け取ってもらってもよい。ある人は、即座に自分の子どもの時の思い出に帰ったという。また、育った時代は違っても、子どもには共通する興味や遊び方があると共感を寄せてくれた人もいる。
児童文学を志してものを書くようになったわたしは、この本では置き去りにした子どもの読者が気になるが、今は大人にもまた「子どもでいる時間」があってほしいと思う。困難な時代にこそ、子ども(自分)を取り戻し真直ぐに生きたい。この本がそんな手立てになるとしたら、ほんとうにうれしい。
●トピック
「戦争態勢へと頽落していく日本社会の動きに抗し、思想的・文化的抵抗の新たな拠点を築く」(前夜宣言より)ことをめざして、さる十月一日、季刊『前夜』(発行=NPO前夜/発売=影書房)が創刊されました。新聞等でも紹介され、好評を得ています。創刊号は増刷を重ねて現在第四刷。九日には創刊記念集会が開かれ、鵜飼哲さんが「信濃毎日新聞」に感想を寄せて下さいました。以下に転載させて頂きます。
友の足音 抵抗の思想7 不快に明るい「夜」を生きる
鵜飼 哲
台風22号の接近で強い雨が降るなか、十月九日午後、東京青山の東京ウィメンズプラザホールで、新しい季刊雑誌『前夜』の創刊記念集会が開かれた。この雑誌のタイトルは、この連載のタイトルと同じ、ヴァルター・ベンヤミン(ドイツの思想家、一八九二―一九四〇年)の第一次世界大戦中の手紙の一節に想を得ている。「夜の中を歩み通すとき、助けになるのは橋でも翼でもなく、友の足音だ」。編集主体である、雑誌と同名のNPO(特定非営利活動法人)の理事の一人、在日朝鮮人作家の徐京植(ソ・キョンシク)氏は、九十年前のベンヤミンのこの孤独な発信を、創刊リーフレットに寄せた言葉で次のように敷衍した。
「いまは夜である。夜が続いている。日本という一つの社会が、速やかに、滑らかに、転落を続けている。だが、この夜は漆黒の闇ではなく、むしろ不快な明るさを帯びている。壊れたテレビ画面のようだ。色彩ばかりがケバケバしく、ピントが合っていないのだ。登場人物たちは非論理的な発言を平然と反復し、軽薄に笑い合っている。笑いながら、確実に転落している。その果てには破局が待っている。戦争前夜、破局前夜である。」
「夜」であることが意識されない「夜」、いまだ「昼」だと信じ込んでいる夢遊病者たちに包囲された「夜」、すでに「夜」であるが誰もが「夜」であることに気付く時はいまだ来ていないという意味で「破局前夜」でもある夜、私たちの現在の奇怪な時間構造がここに見事に言い表されている。このような意味を踏まえて徐氏は最後にこう述べる。「破局前夜が新生前夜となる、戦争前夜が解放前夜となる、その希(まれ)な望みを、私たちは棄てない。」
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この言葉が創刊記念集会の合言葉となった。「希望」とはその名が示す通り本来「希」なものだ。その希薄さに耐えることを求めないような「希望」はそもそも「希望」ではない。「希望」という二文字の漢字をそのように読むことを教えたのは二十世紀中国の作家魯迅(一八八一―一九三六年)だった。だがその魯迅も、「希望」のこのような意味に接近するために、十九世紀ハンガリーの詩人、ペトーフィ・シャンドール(一八二三―四九年)の詩を必要とした。
一八四八年の独立運動に参加しロシアのコサック兵に殺されたペトーフィは、人が若者であるときにのみその心をたぶらかす「希望」の不実さを歌ったが、「希望」が彼を棄てても彼は「希望」を棄てなかった。なぜなら彼には、「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」というもう一つの認識があったからだ。言い換えれば、「望み」にかかわる「絶」と「希」の間のわずかな差異は、この「虚妄」の経験を通してのみ感得されうるのである。
そして、「抵抗」と「希望」をつなぐもの、それもやはりこの経験である。魯迅がそうだったように、人の抵抗の思想は、他の時代の、そして場合によっては他の共同体の文化的営為の、翻訳、継承の作業を通じて錬成されうる。おそらくそのような認識のもとに、『前夜』はその創刊号のテーマに「文化と抵抗」を掲げたのである。
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代表理事の一人として創刊号で長いインタビューを受けている哲学者の高橋哲哉氏は、この記念集会での発言で、フランス文学者渡辺一夫の『敗戦日記』を引いて、戦時期を「闇夜」として生きた知識人の絶望の諸相を想起した。この日本で、その特有の「不快に明るい」夜を歩み通すために、今読み返されるべき言葉がそこにあった。やはり創刊号から小説「眼の奥の森」の連載を開始した沖縄の作家目取真俊氏は、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落後の沖縄の状況について、事件が起きない限り日常に安住してしまう知識人のあり方を批判し、事件がむしろ状況の悪化を加速するかのように名護市辺野古沖の海上基地建設のためのボーリング調査が強行されようとしているなかで、海上で、海中で抵抗する人々がいつ犠牲になっても不思議ではない事態の深刻さを強い言葉で喚起した。
嵐のなか、『前夜』創刊記念集会に集まった参加者の年齢層は多様だった。すでに『前夜』に参加している、あるいはこの日初めてこの試みに触れた、多くの若者がこれらの言葉に耳を傾けた。「戦争・テロル・文学」と題されたこの集会の基調提起は、在日朝鮮人の若い文学研究者・高和政(コウ・ファジョン)氏によって行われた。ヘリ事故があった沖縄国際大学の学生をはじめ何人もの沖縄の学生が、ヤマト社会の無関心、事件を早くも忘却の淵に投げ込もうとする動きに抗して事故現場の保存を訴えるアピールを行った。
一九二五年の中国で、魯迅にとって「絶望」は、明白な危機のなかで「青年が安らか」であり、彼の前に「ついに真の暗夜さえない」ことだった。しかし彼は青年たちに向けて書き、青年たちとともに「夜」を生きた。この志を受け継ごうとする季刊『前夜』が、一人でも多くの人の手に渡ることを希望する。
(うかい・さとし 一橋大学大学院言語社会研究科教授) 「信濃毎日新聞」2004.10.13より転載
◆影からの声
▼今年は「秩父事件」から一二〇年とのこと。記念映画『草の乱』(神山征二郎監督)も公開されている。「事件」の概要は、明治政府のデフレ政策や富国強兵のための増税、生糸の国際相場暴落等によって困窮した農民らが困民党を結成、生きるための合法的手段を奪われた約三千人が、一八八四年十一月一日武装蜂起し、高利貸宅などを打ち壊し、警察や政府軍と交戦、九日後に壊滅させられた、というものである。「圧制ヲ変ジテ良政ニ改メ、自由ノ世界」を求めた彼ら困民党は、政府打倒を目指し「天朝さまに敵対」したゆえに事件後も長く「暴徒」扱いされ、「事件」は地元でも「恥ずべき過去」とされてきたという。死刑となった最高責任者=総理・田代栄助は、後の取調べで「自分は生来強きを挫き弱きを扶くるを好み……貧民を救ふの要用なるを信じ……」と供述したという(朝日新聞be04.10.30)。この言葉が現在の日本でどのように響くだろうか。
▼先日の選挙で二期目の再選を果たしたアメリカのブッシュ大統領は、早速「テロとの戦いの継続」を宣言した。彼はもっぱら「強きを扶け弱きを挫く」ことがモットーのようだが、彼に尻尾を振って「強きを扶け」ることにのみ熱心な日本の小泉首相に、田代栄助らの、あるいは日々生命の危機に脅かされているイラク民衆の熱く激しい怒りが伝わることはありえないだろう。ブッシュに投票した米国民は、イラクの推計10万人に及ぶ一般市民の死、また、多くは貧しさゆえに志願した千人を越える米兵の死に加担したことになる。犠牲はこれからますます増えるだろう。小泉内閣を支持する日本人もまた、間接的に彼らの非業の死に対して、同じ責任を負っているということを忘れてはならない。
▼十月二八日の園遊会で、天皇に「日本中の学校で国旗を揚げ国歌を斉唱させるのが私の仕事であります。」とおべんちゃらを言った東京都教育委員の米長邦雄氏に対し、天皇は「強制になるということでないことが望ましいと思います。」と応えたという。東京都では公立学校での日の丸掲揚・君が代斉唱の実施がひときわ強化されており、すでに二百名を越える教員が処分されている。これが強制でなくて何であろう。関西学院大学の野田正彰氏は「米長氏は天皇に喜んでもらえると思って発言したら、まあまあ、強制はよくないよと言われ、予想外の答えだったので驚いたのでは。……強制によって社会をつくるのは嫌だという当たり前の市民社会のモラルを、国旗国歌に濃密な結びつきを持つ天皇が語った意味をまっとうにとらえるべき」と語っている(東京新聞04.10.30)。天皇の鶴の一声で強制派のうろたえる図は噴飯ものでしかない。
▼影書房は来月事務所を移転します。移転先は現在地近くの、東京都北区中里3‐4‐5ヒルサイドハウス101号です。JR駒込駅東口から徒歩5〜6分。電話・FAXは今までと変わりません。 (YMM)