| 書 評 目取真俊 著 眼の奥の森 |
![]() 2009年5月刊 四六判上製220頁 1800円+税 ISBN978-4-87714-393-0 |
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◆『読売新聞』 2009年7月21日 http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20090721bk04.htm 何が戦争を起こすのか 評者=井上荒野(作家) 第二次大戦末期、米軍に占領された沖縄の小さな島。小夜子という少女が、米兵四人に乱暴される。小夜子に思いを寄せていた盛治が銛(もり)で米兵を刺して姿を消し、山狩りがはじまる。 事件をめぐる様々な人たちを視点にして紡がれる連作集である。小夜子が襲われたとき一緒にいた年下の少女フミ。山狩りのとき米兵に協力的な態度をとったことで島民から疎んじられることになる区長。精神に異常を来した小夜子の面倒を見続けた妹のタミコ。 銛で刺された兵士。彼がずっと持っていた銛の欠片(かけら)のペンダントのことを知らされる小説家。米軍所属の二世の通訳者。そして盛治。 当時から現代までの時空を行き来しながら、物語は、戦争という黒々としたものが人間の運命をどのように苛(さいな)むかを描き出す。落ち込んだ穴から這(は)い出すために、あるいは穴の中で生きながらえるために、ある者はくるい、ある者は記憶を封印し、ある者は他者にも自分自身にも嘘(うそ)を吐き通す。 さらに物語は、現代のある少女の視点を挟むことによって、私たちの心を深く抉(えぐ)る。この少女は中学校で苛(いじ)めに遭っている。その凄惨(せいさん)な描写を通して、悪いのは戦争なのか? という問いかけが私たちの心に浮かぶ。黒々としたものは戦争なのか? それは私たち人間の中にあるものではないのか? 戦争を起こすのは私たち人間にほかならないのだ、という自明の認識を、考えまいとしている私たちに力強く突きつける。 米軍に捕らわれた盛治は山狩りのときの催涙ガスのせいで盲目となり戻ってくる。その盛治を辱めて嗤(わら)う島の男たちがいる。覚えていなければならないことを風化させるのは時ではなくて人の心なのだと、本書は、瑞々(みずみず)しい自然描写、やさしくて美しい沖縄の言葉の向こうから語りかける。戦争を知らないことはエクスキューズになりはしない。たくさんの人に読んでほしいと思った。 ◆『北海道新聞』 2009年7月26日 http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/20090726/2.html 「個」を葬る戦争の狂気 評者=与那原恵(ノンフィクションライター) 私が死んでも、私の声は残り、あのときのことは伝えられていくのだろうか。それとも、私の記憶は私とともに消えてしまうのか。 シマ言葉(沖縄の集落の言葉)でつぶやく老人。その静かな声は重く響く。 沖縄戦末期。南部での激戦がこれから展開するという時期、すでに米軍の支配下にあった島が舞台だ。少女たちが白い砂浜で貝を採る昼間、事件は起きた。 気さくに思えた米兵数人が少女のひとり小夜子をアダンの茂みに暴力的にひきずりこんだ。泣き叫ぶ声。やがて、裸でうずくまる小夜子の姿。 圧倒的な力を誇示する米軍に集落の人びとはなすすべさえない。それからほどなくして小夜子の隣家の青年・盛次が、海の中で小夜子を暴行した米兵を銛(もり)で刺した。盛治は洞窟(どうくつ)に逃げるが、集落のまとめ役が明かしたその場所に米兵たちが現れ、彼はとらえられるのだ。 その日から60年以上が過ぎようとしていた。消え去らない傷みと年月をさまざまなまなざしと語りで描きだしてゆく。 事件後、集落の人びとに遠ざけられた小夜子と盛治。事件を目撃した少女。盛治の居場所を教えたまとめ役。暴行した米兵。米兵と島人のあいだに立った沖縄系米兵…。 やがて、彼らの複雑な背景と葛藤(かっとう)が明らかになる。自己弁護をするわけでなく、誰を糾弾するというものではないが、戦争という狂気が人を集団のなかに埋没させ、個人の理性や判断、ひとりの「声」を失わせてゆくものであることを浮かびあがらせるのだ。けれどもそれは戦後も続き、さらには、現在でもあると作家は問いかけている。 人は弱く、もろい。けれどもこの小説の救いはそれぞれの苦悩の痕跡が私たちのこれからを示すかすかな光となることだろう。おだやかな筆致ゆえに、胸に迫ってくる。 あれから二度と会うことのなかった小夜子と盛治。過酷な歳月を生き、老いたふたりは今、遠く離れた場所で海の風を浴びている。我(わん)が声(くい)が、聞こえるか(ちかりんな)、小夜子……。聞こえるよ、セイジ。 ◆『週刊読書人』 2009年8月14日 言葉にならないものと言葉との間で語られる物語 評者=小林広一(文芸評論家) ある強姦事件について描いてあるのだが、誰が悪いのか、ほんとうに、わからない。現在、もっとも憎むべきなのは、いったい誰か――。事件は戦争を背景として起きたことだから、戦争犯罪を追跡していくことで戦争を起こした悪人が誰か決して分からないことではない。そしてたとえ過去には憎んでいても事件から六十年以上もたっているのであれば、すべてを長い時間のせいにして忘却できないことではない。だが、その忘却の彼方の歴史書に載らない非歴史的な“闇”から、言葉にならない何ごとかが、聞こえてこないか。その言葉にならないものと、言葉との間で、かろうじて成立したのが、この小説である。 事件は、太平洋戦争末期、沖縄に米軍が上陸したばかりで、まだ戦闘が続いていた頃に起きた。昨日までの憎むべき敵だった米兵に、日本兵は捕虜となって戦意をすでに喪失し、食糧を配給してくれるので住民もしだいに愛想がよくなってきた頃、米兵数人に少女が暴行強姦された。少女の隣家の知恵遅れの少年が、怒って復讐のために銛で米兵を傷つけ、森の洞窟に逃げたのだが、捕えられた。以下、この事件の関係者が、その後の六十年の長い月日をどう暮らしたか、さまざまな証言が続く。強姦された少女はその後、家に閉じ籠り、妊娠したのだが、生まれたばかりの赤ん坊をすぐ施設へやった。妹は、姉の狂気すれすれのその悲しみを脇でずっと見つづけてきた。森の洞窟に逃げた少年を説得に行った区長は、米軍に媚を売っていたのではないか、と島の人たちに疑いをかけられた。事件当時幼女だった女は、事件のなかでも戦慄する恐怖の箇所が幼くてよくわからなかったが、他の人から聞くことでようやく鮮明になってくる、など。そのなかでとりわけ重要なのは、強姦した米兵の証言である。銛を突かれた兵は、戦闘で傷ついたのではなく民間人の銛で傷病してしまったのだと病院のベッドでおちこんでいると、強姦した仲間が見舞いに来て「もう少しでこの島も陥落する。戦争もじきに終わるさ」と言い励まされ、一足早く国へ帰ることになるのだが、犯した少女の姿がちらついて脳裡を離れない。となればわれわれは、いったい誰を憎めばいいのか。犯人がそこにいるのに、裁くことなく理不尽に終わるという事情は、「もう少しでこの島も陥落する。戦争もじきに終わるさ」の言葉が端的にもの語っているのだが、それだけでいいのか。すべては、戦争が悪い、戦争のせいでこうなった――、ただこの事実だけで終わりとすることができるのか。 当然この作品は戦争の叙述が多いのだが、この叙述と異なった色彩をもっているのは、島の人々についての叙述である。島の男たちは事件が目の前で起きていても何もできなかったのにたいし、少年だけが怒り銛を突いた、それなのに男たちは米軍による少年の山狩りが始まると手伝いに出ていった、許せない、という幼女の言や、強姦された少女の父が島の人々の眼差しや囁き声をかなり気にして生まれたばかりの赤ん坊を姉から取り上げ里子にだした、その処理の仕方を殺したいくらい憎む、という妹の言のなかの島の人々とは、戦争をもはや天命とみて、いわば“自然的”なものとする叙述ではなく、これを断ち切り対立する“人為”を感じさせる叙述であって、作者の創作意志がもっとも尖鋭化した箇所ではないか。おそらく島の人々は、短期間に戦争と平和の間を忙しく駆けて行ったのであろう。戦争が来れば戦争のように、平和が来れば平和なように、その時々にうまく迎合し、我が身を守るために、周囲に気を配り生きている。そのくせ他人の不幸には大きな目で覗き見して大声で罵り、囁き合う、正義に仮装した無責任で、臆病で、エゴイズムの大衆の姿である。実は正体は根をはった陰湿な巨悪であって、ほんとうにもっとも憎むべきは、親しいふりをしているあなたがただ、そう、それは、あなたなのだ……。 かつて戦争があったが、あの戦争がすべて悪いのだ――そういう言は、すでに平和の時代では明確に言語になっていて、とりわけ沖縄では誰でもそう言えるという自然的なものになっているのであろう。作者は、これに苛立って、たぶんこれに対立する創作意志を強く際立てることで、見捨てられて、消えかかっている物語をすくいあげようとしたのにちがいない。作品中の、怒ったり、泣いたり、叫んだりしている彼らの言葉は、ほんとうは言語ではないのではないか。しばしそう思わせるほどに、波の音や風の音に入り混じっている呻き声だ。これを語る人々の記憶もかすれ、思い出せるか否か、そのぎりぎりのところでかろうじて吐かれたものである。たとえば今は施設に暮らす強姦された姉を妹が訪ねると、姉はしばらく穏やかな表情で海を見つめていて、不意に唇が動き何か言ったようだったので、え、何? と妹が聞き返すと、「聞こえるよ」とつぶやき、銛を突いた少年の名を言う。それがかすかな風の音と共に妹の耳に残ったのであるが、このとき偶然に妹に聞こえたがゆえに言葉として記録されているのであって、この偶然を逃せば記録されず永遠に消えていったのだ。まさしく、その意味では、はっきりと視える言語ではなく、眼の奥の森にあった、言語にならぬ物語を語っているのである。 ◆『沖縄タイムス』 2009年8月22日 新境地拓く沖縄戦の記憶 評者=岡本由希子(編集者) 沖縄戦の記憶の物語を書き続けてきた著者が新たな境地を拓いた。 沖縄戦の最中、米軍に制圧された北部の島で事件は起こった。17歳の小夜子が対岸から泳いできた4人の米兵に浜辺で暴行を受ける。その後米兵たちは部落にまで入り込んでくるが大人たちは抵抗できない。ある日小夜子の幼なじみで島人からはうすのろと馬鹿にされている盛治が泳いでくる米兵を銛で刺す……。 この事件を起点に、戦場と現在を往還し一話ごとに主役(視点)を変え時代を変え話法を変えて、人々に残された癒えることのない傷の発する音なき音に言葉を与えていく。「魂込め」「群蝶の木」等数々の短編で著者が試みてきた語りの手法の集成ともいえよう。 記憶をたぐりよせること、否認すること、語りえない/語りたくないこと、悔恨とそれでも生きざるをえない自分を肯定したいというなけなしの願い。それらに容赦のないまなざしを投げる物語の上位の審級が、盛治と小夜子、そして異様な圧迫感を持つ中学校を舞台にした章の主人公(クラス中から凄惨なイジメを受けている少女)の声にならない問いであり、不意に届けられる銛の尖端である。 この連作小説は、米軍基地をあくまで沖縄にとどめおこうとする力に呼応するかのように沖縄戦の記憶に一連の攻撃が加えられたころ(『季刊前夜』04年秋号〜07年夏号に連載)、自由主義史観研究会の「沖縄プロジェクト」、小林よしのり『沖縄論』、大江・岩波裁判、安部政権の発足、教育基本法の改訂、そして裁判を理由に歴史教科書から「集団自決」の「軍命」削除されていく、そうした緊張のなかで書き進められていた。沖縄戦の記憶をめぐる闘いはいまなお継続している。沖縄に生きるすべての者が当事者だ。思考停止をしようとも、繰り返し訪れる悪夢のように、思わぬところから届く銛の先端のように、この闘いからは逃れられない。 小夜子のせりふ「聞(ち)かりんどー、セイジ」に号泣。私たちには聞こえているだろうか。 ◆『琉球新報』 2009年8月23日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-148851-storytopic-6.html 記憶へ挑戦する言葉の力 評者=大城貞俊(作家) 目取真俊は今、確実に読後の充足感を与えてくれる作家の1人である。目取真の芥川賞受賞作「水滴」は、それ以降の受賞作品で「水滴」をしのぐ作品はないと思わせるほどの優れた作品だと思われるが、今回も十分に小説の深さと人間へのいとおしさを味わわされた。余韻のままに摩周湖にでもおぼれたい心境だ。 作品は、1つの事件にかかわった10人の視点から語られる。手法は、芥川の「藪(やぶ)の中」に類似するが、厳密に言えば、芥川の手法を凌駕(りょうが)し、10人は私たちをも含めて無数の民衆の視点でもある。 事件の発端は戦時中の沖縄本島北部の島。その島で悲劇は起こる。日本軍の組織的な戦闘も終わり、米軍が北部一帯を鎮圧し、戦場は南部戦線へと移っていく。そんなつかの間の平穏な日々に、浅瀬で貝採りをしていた5人の少女がいた。フミ、ヒサコ、タミコ、フジコの4人は国民学校の4年生、そしてもう1人、タミコの姉で17歳になる小夜子だ。その集団へ、海を渡ってきた4人の米兵たちが襲いかかる。小夜子がアダン樹の下で強(ごう)姦(かん)される。この悲劇を最初の一石として、波紋は容赦なく広がっていく。1つ目の波紋は、小夜子の仇(あだ)を討つと1人で米兵と戦う村の若者、盛治の物語だ。盛治は、再び島へ渡って来る米兵を殺すため、銛(もり)を研ぎ、海に潜るのだが……、あとは作品を読んでもらおう。 作品は、この盛治の「物語」から始まり、小夜子のその後、逃げ隠れた盛治を米兵に案内する区長、突き刺された米兵、妹、そして二世の通訳兵等々、この事件が生みだした悲しみの波紋が、時を越えて人間を壊し、今日までも続いている様が全方位的な視点から描かれるのである。 初出は季刊『前夜』。2004年から07年まで連載されたものに加筆修正したと記されている。当時から注目されていた作品だが、記憶のタブーへ挑戦する作者の言葉の力には驚嘆する。作者特有の生理的でリアルな文体は、時間を超えて人間を壊す悲しみの連鎖を見事に描ききっている。濃密な作品を、満を持したかのように発表する作者の才能に、あらためて驚愕(きょうがく)させられる作品だ。 ◆『ふぇみん』 2009年8月15日(第2899号) 沖縄県今帰仁村に生まれ現在も沖縄に在住し、一貫して戦後の沖縄の風景や人々の中にある沖縄戦や米国による占領の傷跡などを描いてきた著者による連作小説。 64年前の沖縄県北部にある米軍に占領された小さな島で、米兵による少女(小夜子)の輪かん事件が起こる。小説は、時代を超え空間を超えて事件に連なる人々の苦悩やつぶやきを、生命力にあふれた沖縄の空気感と色彩とともに鮮やかに織り上げた。狂気にいたる小夜子、小夜子を慕い米兵に復讐をする盛治、輪かんに加わり戦後は酒に溺れた米兵とその息子と孫、1995年の米兵による少女輪かん事件で封じていた記憶が蘇った女性、小夜子を蔑み暴力をふるった父や村人を憎む妹、学校の授業で事件を聞きいじめに遭う自分の境遇と照らす女生徒……。 誰もがブラックホールのようにぱっくり開いた闇を抱え、占領や暴力がいつまでも残す傷跡の生々しさを描く。同時に時代を経ても響き合う小夜子と盛治の魂が美しい。(登) |
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